大師新生教会大師新生教会

これまでの今週のことば

2024年4月28日

 先日、以前、働かせて頂いた「大阪神愛教会」より、「教会設立130年誌」が送られてきました。そのタイトルは、「主の愛をあかしする教会」とあり、教会の方々が、一人一人、ご自身と教会とのかかわりについて書いていました。教会の歩みが130年も続くということは、教会員の方々が「主の愛」に生かされてきた歩みをされたからだと思います。お一人、お一人の証しには、楽な歩みだけではなく、困難な歩みもあったことが記されています。人間的に見れば、越えられない出来事もあったと記されていますが、「主の愛に励まされて、今日の私がある」と証しされているように思えました。すると、主は生きて働いておられるのだということになります。私たちも一人一人困難な出来事に出会いますが、主の愛に励まされて歩んでいきたいと思います。
 「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマの信徒への手紙5章5節)(益)

2024年4月21日

  最近、「こども食堂」の準備が始まる午後1時過ぎに近隣の方が訪ねて来られます。おひとりは「こども食堂」への献金をお持ち下さっています。ご本人が言われるには「自分も以前から『こども食堂」』をしたかったです。しかし、どのようにすればよいのかわからずにいました。ここで『こども食堂』をされていることは感謝です。」と言われます。お名前は言われません。もう一人の方は、必ず、たくさんのお菓子の入った袋をお持ち下さいます。「どこでこのようなたくさんのお菓子を買われるのですか。」とお聞きすると「コストコです」とのこと、この方も名前を言われません。ちょうどお菓子がなくなってきていたので、助かりました。近隣の皆さんに喜んで頂いていることが分かります。前回より食事をされている方は、御自分のこども時代厳しい状況であったとのこと、それで、「この『こども食堂』の事を知り感謝です。応援します。」とのことです。ありがたいことです。(益)

2024年4月14日

  教会の庭の桜は散り始めています。この桜は私と同い年で、私の父俊夫が大師新生教会に赴任した年に父と兄で植えたものです。ソメイヨシノはまず花を咲かせ、花びらが散ったあとに新しい若い葉をつけます。岩波新書の佐藤俊樹著「桜が創った『日本』〜ソメイヨシノ起源への旅」では後半に明治政府が軍国化する過程で「桜」を如何に利用していったかを書いています。特攻隊に植え付けられた思想はまさに死をもいとわず散る「桜」です。一方で花を咲かせ一度は死んだような桜の木に新緑が芽生える姿は私たちに死のあとに新しいいのちが宿っていることを示してくれます。イースターのあとに咲き散っていく桜を見上げながらそんなことを思いました。(矢田部)

2024年4月7日

  新しい年度が始まりました。この年度の聖句は、「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマ5章5節)になりました。この言葉を記したのは使徒パウロです。パウロの宣教の歩みには様々な出来事がおそっていました。しかし、パウロの希望は揺らぐことがありませんでした。なぜでしょうか。それは、自分は神様に愛されているという自覚があったからです。神様に反抗し続けたこのわたしを神様はどこまでも愛してくださったということが分かっていたからだと思います。その愛の広さ、深さに触れた時の喜びは何物にもかえがたい経験になり、その喜びを伝えずにはおられないようになったのだと思います。(益)

2024年3月24日

  先日、ある動画を見ていました。とある教授の最後の講義でした。教授は黒板に数字を書き始めました。それは九九でした。1×1=1、2×2=4、3×3=9、と書き4以降も書き続けました。そして最後に9×9=80と書きました。すると教室に笑い声が出ました。教授の間違いをある学生が手を挙げて指摘しました。「教授、間違っています。正解は81です。」すると教授はこう言いました。「私は最後の一回だけ間違えた。しかしそれまでは全て正解だった。君たちはそれまでの8回は褒めずに、最後の一回の間違いだけを笑った。間違いは成功への過程だ。間違いや失敗がなければ、成功や正解には辿り着けない。挑戦する限り誰もが失敗するし間違えもする。唯一失敗や間違いがない人がいる。それは何もしない人だ。」1タラントンを貰って何もしなかった人が最後に神様に叱られた理由が、少しわかった気がしました。(藤本)

2024年3月17日

  先月2月23日(金)向島教会で伝道者養成の歩みについてお話を頼まれて行ってきました。当日午前10時半から研修が始まりますので、前日の22日(木)に向島に向かいました。そして22日の午後に向島の南の生口島にある「平山郁夫美術館」に立ち寄り、平山郁夫さんの絵を見てきました。平山さんは生口島で生まれ育った方です。その美術館には平山さんの代表作などが展示されています。平山さんは、シルクロードを旅して「仏教伝来」などを描いていますが、その原点には若き日に広島に落とされた原子爆弾に被災したことが、ご自身の絵を書く原点であることを著書『永遠のシルクロード』を読んで分かりました。原爆による悲惨な状況を経験したことがシルクロードへの「平和の希求」の旅になったのだと。
 わたしたちの歩みには、どのように考えても理不尽な事態にぶつかることがあります。そのような時、答えの見つからないことに直面し、祈る言葉さえ失います。十字架を前にしてなお、祈りを続けたイエスご自身は、どうして立ち上がることができたのかを、ゲッセマネの祈りから見ていきたいと思います。(益)

2024年3月10日

 明日で3.11東日本大震災から13年目を迎える。歳をとったせいか最近涙腺が弱い。政治学者でキリスト者の姜尚中さんが「心」という小説を書いている。小説では東日本大震災のとき、あるボランティアの青年が海で見つかった遺体を保管所まで運ぶ仕事をしている中、彼は姜尚中さんと往復書簡を交わす。あの津波を思い出すと、亡くなった方を運んだ人たちが確かにそこにいたことを思うと涙を禁じ得ない。遠藤周作は小説「深い河」の中で死期を悟ったインドの貧者が母なるガンジス川まで死にに行く手助けを、彼らを背負い歩むことを自分の使命とした、悩みぬいた弱い元神父を描いている。なぜこの世に苦難と苦難による厳しい死があるのか答えはない。人間を神格化してはならないが、先のふたつの小説の中で死を運ぶ二人に私はキリストの後姿を見る。答えは分からないがキリストが津波あと海辺におられたならやはり死を背負ったのではないか。いま能登半島で失われた方々をやはりキリストは必ず背負っておられると私は信じている。(矢田部)

2024年3月3日

 去る2月23日(金)には、向島教会で行われた内海部会の信徒研修会に講師として午前と午後の2回話を頼まれてしてきました。内海地区の五つの教会が参加されました。小豆島教会はリモートでの参加となりました。皆さんとても熱心に研修会に参加されました。島々の教会は距離的には隔たりがあるのですが、その分お互いの協力関係がよくなされていると思いました。そのことは先月私たちの教会にも送られてきた「福音丸新報」を読めばよく分かります。距離的には離れているけれども、その分お互いに協力し合っていこうとする気持ちが強いのだと教えられました。瀬戸田教会の石塚先生と帰りに尾道の駅まで行く途中に教会の状況などを伺いました。石塚先生は瀬戸田教会に加えて、原伝道所の集会、中島集会所の礼拝など多くの働きに関わっておられます。一つ一つの集会は来られる人は少ないけれども農家などをしているご家庭などは週日は礼拝に来ることが難しいのだと教えて下さいました。ですから来られない人々の所を訪ねていくことの大切さがあるのですと話して下さいました。そのような中で研修会では内海で生まれた賛美を紹介して下さいました。心が震えるような思いがしました。私たちの教会でも内海部会で生まれた賛美歌を歌ってみたいと思っています。(益)

2024年2月25日

 倫理の授業でリトアニア出身のユダヤ系フランス人哲学者「レヴィナス」を扱っています。彼は第二次世界大戦で仏軍に従軍、戦争捕虜としてナチスの収容所に捕らえられ、生還。しかし、リトアニアの彼の家族(妻子除く)は全員、ナチスのユダヤ人収容所で虐殺されました。彼は、「なぜ、自分だけが生存したのか。」と苦悩し、自らを「在り得ない存在」と規定し、独自の哲学を構築していきました。「わたし」を意味付けていた「世界」を失ってもなお存在する「わたし」と「世界」を「ただ意味もなく存在する孤独と恐怖」=イリヤとし、いかにして「わたし」はこのイリヤから逃れられるか、レヴィナスは考えました。大切な存在を亡くされた喪失感を経験された方なら、この「孤独と恐怖」をご理解頂けるかと思いますが、ペトロもユダも、イエスを捨てて逃げた弟子たちも皆、イエスを失ったあと、この「イリヤ」を味わったのではないと思うのです。そしてレヴィナスは再生のヒントを「他者の顔」に見出すのです。(藤本)

2024年2月18日

 去る2月3日(土)に東京四谷の紀尾井ホールで行われた朗読劇「手紙」を見ました。朗読劇「手紙」で扱っていたのは、小豆島教会の信徒であった伊藤静野さんという方でした。伊藤さんは伊藤戒三牧師に若き日に出会い結婚されますが、結婚後106日で伊藤牧師がなくなられました。しかし、その後、伊藤牧師との約束を心にとめて生涯幼児教育に尽くされた方であることが、朗読劇で紹介されていました。脚本を書かれた仲野好重さんは、たまたま伊藤静野さんの手紙に出会い、伊藤さんと交流のあった方々との手紙を基にこの朗読劇の脚本を書かれたとのことです。舞台では2名の方が脚本 を読まれ、その合間に若きピアニストが演奏をしていくという朗読劇でしたが、伊藤姉の幼児教育の歩みには、聖書の愛が深く心に刻まれていたのだと教えられました。(益)

2024年2月11日

 昨年、リードオルガン修復士のI先生ご夫妻に私たちが礼拝で使用しているリードオルガンをオーバーホール(徹底的な修復)して頂いた。I先生からある事で手紙を頂き、水曜日に私に届いた。お礼のメールの中に「少しオルガンの不具合が出ているのですがアドバイスを」と書いて送った。すると午後電話がかかってきて「すぐ直しに行く。今日の午後でもよいですか?」と言われ、その日の午後、I先生ご夫妻は工具を持ってご自宅から小一時間かかる大師まで来て下さった。無事オルガンの不具合を直して頂いた。I先生ご夫妻はオルガンのオーバーホールをして、しかし半年を過ぎた頃に不具合が生じたのだが、連絡したその日に「行く」とI先生ご夫妻は言われた。I先生ご夫妻のリードオルガン修復士としての責任感と神様に礼拝を捧げるオルガンへの献身が即座に「動く」という行為に繋がったのだ。本当に頭の下がる思いがした。自分はI先生ご夫妻の様に誰かの為に即座に動けるだろうか?迷いもなく動いたI先生ご夫妻の年齢を聴いたらきっと皆驚くだろう。何歳になっても主のご用の為ならどこへでも赴くI先生ご夫妻を見ると勇気を頂ける気持ちがする。(矢田部)

2024年2月4日

 ジョナサン・ゴーブル宣教師とネーサン・ブラウン宣教師は日本国内における日本語での聖書翻訳において大変重要な働きをされた方々です。ジョナサン・ゴーブル師は1873年2月にネーサン・ブラウン師と共に神奈川に来る前に、エリザ夫人と共に神奈川の地に最初に着いたのは1860年4月1日でした。アメリカのミッションからの十分な送金もない中で、独力で働きながら聖書翻訳に取りくみ、1871年に「摩太伝福音書」を完成し出版します。この福音書はひらかな分かち書き聖書で日本国内で最初に出版された聖書でした。そして、ゴーブル宣教師と共にネーサン・ブラウン宣教師が神奈川の地に着いたのが、1873年2月のことですが、ブランウン宣教師も新約聖書全体の日本語訳に取り組み、1879年に国内で最初の新約聖書「志無也久世無志与」を出版します。この聖書もひらかな聖書でした。それは、漢字をまだ読めない多くの日本人に福音を届けたいとの思いからでした。この聖書翻訳の歩みを知ったのは、横浜の日雇い労働者の街にある「横浜教会」で一人の日雇い労働者の方である中野さんより、ゴーブルさんの「摩太伝福音書」の復刻版が東京の書店にあったよと教えて下さったことがきっかけです。ゴーブル宣教師、またブラウン宣教師の偉業が「日雇い労働者の人」によって再発掘されたことは、驚きであり、またそれは、「幸いなるかな貧しい人たちよ」と語りかける主イエスの御言葉が生きて働いていると思わずにはおられません。(益)

2024年1月28日

 これまで何人かの留学生をクラスに持ったことがあります。学校での滞在が1年という長期の子もいれば、3週間、時には1日という生徒もいました。先週の金曜日はオーストラリアから香港出身のキャリー、アメリカのフロリダ出身のゾーイ、そして中国からのダイさんがクラスにいました。生徒のテンションはマックスでいつもとは異なりました。ブーメランを教わりにグランドに行ったり、互いの国とお菓子を交換して試食し合ったり、また通じない言語で悪戦苦闘したり、何も教えなくても互いに学び合っている姿は、この上ない素晴らしい光景でした。留学生の一人がこんな言葉を残していきました。「心地の良い環境を出ていかなければ、私達は新しい世界には行けない。新しい世界に踏み込むには甘えは禁物だ。」慣れ親しんだ安全地帯を飛び出る一匹の羊になろうとしている若者のエネルギーを感じ、私も負けてられない、と思いました。(藤本)

2024年1月21日

 岩波文庫他から出版されているポーランドのノーベル文学賞作家ヘンリク・シェンキェヴィチ作「クオ・ヴァディス」という小説があります。ローマ皇帝ネロ時代のキリスト教徒への激しい迫害を背景に、何人かの登場人物と共に物語は進んで行きます。物語の終盤では使徒ペトロはネロの迫害下のローマに最後まで留まっていましたが、周囲の強い説得によりローマを後にすることを決めます。ペトロが暗闇の中ローマを離れて街道を歩いていると、明け方に前方から復活して天に昇られたはずの主イエスが歩んでこられます。ペトロはひざまずいてQuo vadis, Domine?「主よ、どこに行かれるのですか?」と問うと主イエスは「あなたが私の民を捨てるのなら、私はローマに行って今一度十字架にかかるであろう。」と語りました。ペトロが気がつくと主イエスの姿はありませんでした。ペトロは迷うことなく今来た道を反対に進んでローマへと戻り、迫害下にあるキリスト者を励まし、最後にはペトロ自身が十字架にかかり殉教しました。主イエスがどこに向かうのか、そして私たちもどこに向かうのかが問われているように思います。(矢田部)

2024年1月14日

 先週12日(金)東門前駅から教会に来る途中の家の枝に梅が咲いているのを見つけました。9日(火)の日にこの家に梅が咲いたのを見かけていたので、次回来るときに、写真に納めようと思っていたので、写真に撮りました。そして、教会に着きあるいは、庭の桜の木のそばの梅につぼみが付いていないかと見に行きますと、小さなつぼみをいっぱい付けていました。まだ、黄緑色ですが、だんだん色づいていくでしょう。寒い時期に寒さに負けず咲いている梅には励ましを受けます。新しい年、多くの事が起こると思いますが、主の導きに信頼して歩んでいきたいと思います。(益)

2024年1月7日

 最近出会った言葉から。
 「人の一生は尊いものです。それがダイヤモンドのように不変のものだからではなく、小鳥のように傷つきやすいいものだからです。人生を慈しむとは、配慮、関心、導き、助けを必要とする、そのような弱さを愛することなのです。生まれたばかりの赤ん坊や死に瀕した老人は、わたしたちに人生の尊さを想い起させてくれます。私たちが力に溢れ、幸運に恵まれ、人々にもてはやされている時、人生の尊さと傷つきやすさを忘れないようにしましょう。」
ヘンリ・ナウエン著『今日のパン、明日の糧』より。
 ヘンリ・ナウエンさんは、カトリックの司祭で研究者として大変優れた業績を残していました。しかし、1986年以降カナダのトロントにあるジャン・バニエさんが起こしたラルシュ共同体の生活でナウエンさんが、自分の弱さを受け入れることによって、自分がいやされていく経験をします。そして、その経験をもとに、多くの著書を著しています。(益)

2023年12月31日

 最近出会った言葉から。
「小さなことは本当に小さい。
 でも、小さなことを心を込めて行うことは偉大な事なのです。」
 (マザー・テレサ)
 原文は、
「little things are indeed little,
 but to be faithful in little thing is great thing.」
 イエス様がベツレヘムの飼い葉おけの中に生まれたことは、まことに小さなことでした。しかし、この最も小さな姿でお生まれになった方に会いに行った羊飼いたちは、その喜びを伝え始めました、私たちもこのお方に会いに行く旅を開始したいと思います。(益)

2023年12月24日

 今年はコロナ以来四年振りに、全校生徒が一堂にチャペルに集い、クリスマス礼拝を神様にお捧げすることができました。高一より下の学年の生徒にとっては初めての体験でした。今年のクリスマスは全校生徒で礼拝ができると知って一番喜んでのが、高校三年生でした。期末試験の後わざわざ来て「先生、本当にありがとうございます。全校でクリスマス礼拝ができるなんて、本当に嬉しいです。」と言ってくれました。それができないまま卒業した先輩達を見ていたからでした。当たり前は当たり前でないと高三になって初めて実感していたのかもしれません。実際、礼拝の中で捧げられた高三生の祈りの言葉にはその気持ちが込められていました。
 聖歌隊の美しい歌声、全校生徒の大合唱、演劇部のページェント、弦楽部とギター部の奏楽、生徒たちが一つ一つ丁寧に、真剣に自分の賜物を捧げるその姿に私自身が感動しました。コロナで失ったとっても大切なものが、今年のクリスマスに戻ってきた気がします。礼拝やクリスマスの本来の意味を全校で確認できた、素晴らしい時間になりました。(藤本)

2023年12月10日

 2009年作家村上春樹はエルサレム(文学)賞に選ばれた。当時もイスラエルによるガザへの攻撃が続いており、周囲の人たちは村上のイスラエル行きを止めたが、彼は世界から批判されるのを承知でエルサレムに赴き授賞講演をネタニヤフ首相の目の前で語った。「とても個人的なメッセージを伝えさせて下さい。私が小説を書く時にいつも、心にとめているものです。紙に書いて壁に貼るようなことはしていません。むしろ心の壁に刻まれているもので、次のようなメッセージです。『高く強固な壁とそれに打ち砕かれる卵があるなら、私は常に卵の側に立つ』壁がどれだけ正しく、卵がどれだけ間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しく間違っているかは他の誰かが決めるでしょう。おそらく時間や歴史が決めることでしょう。もしも、何らかの理由で壁の側に立つ小説家がいたとしたら、その作品にどんな価値があるといえるでしょうか?このメタファーは何を意味するでしょうか?とても単純で明確な時もあります。高く強固な壁は爆撃機や戦車、ロケット、白リン弾です。卵はそれらに押しつぶされ、焼かれ、撃たれる、武器を持たない市民です。それがこのメタファーが持つ意味の1つです。しかしもっと深い意味もあります。こう考えてみてください。私達それぞれが、多かれ少なかれ卵なのだと。私達それぞれが、壊れやすい殻に閉じ込められた、ユニークでかけがえのない魂なのだと。私もそうですし、皆さんもそうです。そして私達それぞれが、程度の差はあれ大きな壁に直面しています。」(矢田部)