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主日礼拝

2020年5月3日 主日礼拝

黙 祷 
讃 美 歌151「よろずの民、よろこべや」
主の祈り 
聖 書エフェソの信徒への手紙2章14節〜18節
(新約聖書354ページ)

 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。
祈 祷 
説 教「隔ての壁を超える」
益 巖 牧師

 今朝も皆様と共に動画配信、あるいは説教要旨を事前にお送りする形ですが、共に礼拝ができますことを感謝します。一日も早くこのコロナウイルス感染拡大がおさまり、皆様と共に礼拝ができますように願っています。今朝の聖書個所は、今年度の主題聖句となりましたエフェソ書2章14節の言葉についてみていきます。
 そこには次のように記されています。
 「実にキリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊されました。」と。
 キリストが二つの壁を取り壊されたというのです。この二つの壁は容易に壊されないものです。なぜなら、二つの間には敵意という壁がそそり立っているからです。なぜ、二つの間には敵意という壁がそそり立っているのでしょうか。それは、両者が共に自分たちが正しい考えかたをしているからだと主張しているからです。その場合には、両者の間には和解というものはなく、相手を攻撃しているからです。それは、今日でも国同士の間に生じている壁です。しかし、その壁は私たちの日常的な歩みにもそそり立っています。わたしたちが、ある人との関係において互いに受け入れることができないというときには、両者の間に深い断絶があります。
 その断絶と壁をキリストはご自分の肉において取り壊し、二つのものを一つにされたというのです。ご自分の肉においてとは、どのようなことでしょうか。16節を見ますと「キリストは十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」とあります。言い換えると、イエス・キリストご自身が、互いに自分たちの正当性を主張していて譲らず、相手を非難している真っただ中で、十字架におかかり下さり、両者の深い傷を癒してくださったという事なのです。
 互いの正しさを主張して譲らない時には、お互いに相手から傷を負い、深い痛みを感じています。その痛みを主ご自身が負い、和解の出来事を起こされたというのです。
 私たちも身近なところで、愛されるのではなく、攻撃されている時には、相手の人に対する深い痛みを覚えていきます。そのような憎しみを負ったものをも愛して下さった、そのことがわかるときに、わたしたちの深い傷が癒されて、他の人々を愛する思いが出てくるのです。このキリストの愛を受け止めて新しい日々を歩んでいきましょう。
祈 祷 
讃 美 歌二編247「たたかいおわりて」
聖 餐 式 
献 金 
祝 祷益 巖 牧師
黙 祷