大師新生教会大師新生教会

主日礼拝

2020年4月12日 主日礼拝(イースター礼拝)

讃 美 歌262「十字架のもとぞいとやすけき」
主の祈り 
聖 書マタイによる福音書28章1節〜10節
(新約聖書59ページ)

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
祈 祷 
説教要旨「なぜ十字架が喜びなのか」
矢田部 康夫 伝道師

イースターおめでとうございます。新型コロナウィルスの中ですが、祈りつつ主の復活の喜びを共に致しましょう。

1.人間は誰でも必ず死ぬ。このことは自明ですが、私たちは日常ではあまりそのことを意識せず生きています。

2.私は幼い頃から本当に死ぬことを恐れていました。自分が死に飲み込まれたとき、自分はいったいどうなってしまうのだろう。そのような強い恐れに囚われていました。

3.新約聖書で「罪」と訳されている言葉は「道をそれる」というのが本来の意味です。つまり、キリスト教で言う「罪」とは神様との関係の「道をそれる」ことです。

4.「愛する」とは「相手を大切にする」ということです。互いを「愛する」「大切にする」という交流と信頼が人間関係の基礎です。

5.聖書には「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(ヨハネの手紙T 4章19節)と書かれています。私たちが愛することを知っているのは「神がまず私たちを愛され」「大切にされ」たからです。

6.愛する神を裏切り、愛する神を無視して自己中心に生きるとき、そこに罪があると聖書は語るのです。そして「罪が支払う報酬は死である」と聖書は語ります。

7.子供に裏切られ、傷つけられても、親は子供を愛することを諦めない。神様は人間がどんなに神様を裏切っても愛することをあきらめない。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)

キリストは人間に本当の神の愛を示しました。しかし人間はその声に聞き従わず、自己中心的な思いから、キリストを十字架にかけました。キリストの十字架は私の罪の徴です。私たちが受けるべき罪と罰を全て担って罪なきキリストは十字架におかかりになった。

天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」

墓は死の象徴です。空の墓はキリストが死と罪に打ち勝った、復活した証しです。私たちはキリストの復活を通して新しい命、新しい神様との愛の関係を頂くのです。

8.イースターは十字架のキリストの復活を喜びます。主が私たちの罪のために十字架で死なれ、しかし死に勝利し復活した。私たちがその新しい命に生かされるからこそ、喜びのイースターなのです。
祈 祷主イエス・キリストの父なる神様、私たちはあなたの愛を裏切る罪多き死すべき者です。しかしあなたは主イエス・キリストを通して私たちの罪を赦し、新しいいのちに生かしてくださいました。喜びをもってキリストのいのちに与らせてください。この祈りを復活の主イエス・キリストの御名を通してお捧げします。
讃 美 歌148「すくいの主はハレルヤ」
献 金 
祝 祷益 巖 牧師